書いて、手放す

書くことには、いろんな顔があると思う。 整えるために書く日もあれば、思い出すために書く日もある。 でも、時には手放すために、書く。そんな日が、私にも高頻度でやってくる。

誰にも言えなかったこと。 言ってもわかってもらえなかったこと。 感情がどうにもやり場をなくして、 ただぐるぐると内側で渦巻いていたこと。私はそういう時、ノートを開いて、ただ書く。 気取らず、飾らず、誰かに見せることも考えずに。 ペンを動かすというよりは、 感情を押し出すように、言葉を紙に投げるように、書く。そして破いて捨てる。書きながら泣いた日もある。 怒りに震えながら書いたこともある。 何を書いているのか、自分でもわからないほど 支離滅裂な文字を連ねたページもある。でも、そのすべてが、今の私を支えている気がする。

書いても、状況が変わるわけじゃない。 書いたからといって、誰かが謝ってくれるわけでもないし、 過去がなかったことになるわけでもない。それでも「書くことでしか手放せないものがある」と、私は思う。

感情というのは、不思議なもので、 心の奥にずっとしまいこんでいると、 どんどん重くなって、やがて痛みに変わる。 私はその痛みを抱えすぎて病気になったんだ・・・とまでも思ってしまう程に。そこに書いたことを他人にぶつけるでもなく、我慢し続けるでもなく、 そっと取り出して、自分の言葉で表現してみる。

すると、不思議とその重さが少し軽くなる。 まるで、「書く」という行為が、 その気持ちを“外側に置く”作業になっているみたいに。クローゼットの整理と一緒。

ある方が送ってくれた言葉がある。

「書いていたら、自分でも気づいてなかったことが浮かび上がってきて、書き終えたあと、涙が止まりませんでした。」その方は、手放したかったんだと思う。 誰にもぶつけられなかった言葉を、自分のために書いて、 やっと静かに、心の外に出せたんだと思う。

書くことは、自分の本当の声を聴く行為でもあるし、 自分と和解する時間でもある。 そしてそれは、決して「前向きでポジティブな言葉」ばかりじゃなくていい。 むしろ、ネガティブなことこそ、書いていい。

「もういいや」 「私は悪くなかった」 「それでも苦しかった」 「忘れたい」そうやって書くことで、はじめて自分の感情に触れられる人もいる。

ああ、この人も、生きているんだなと。声にならないこと、言葉にならないこと、 でも、それでも書かずにはいられなかったこと。それが書かれた紙は、世界で一番「命が宿っている紙」だと私は思っています。

書くことで、すぐに何かが解決するわけではないかもしれない。 けれど、書くことで一度、心を机に置いてみることができたら、 それは、きっと「前に進む」ということの、小さなはじまりになる。

あなたも、誰にも見せる必要のない紙に、 思いっきり書いてみてください。どうしようもない気持ちを、 文字にして、自分の手でそっと外に出してみてください。

書いて、手放す。

それは、「忘れる」とは違う。 でもきっと、 心の中にずっと住みついていた何かと、 心の中にずっとあったものを、受け入れ、許し、そして少しずつ手放していくそんな過程の中で、抱えた負の感情と自然とやさしい距離が生まれていくのではないかと思います。

そしてそれは、とても静かで、 誰にも見えないけれど、とても尊い行為だと私は思っています。


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