私の側で
先日DMにとあるメッセージをいただきました。
私なりの考えと答えを正直に綴ったのでここに置かせてください
(DMをいただいた方には掲載の許可をいただいています)
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こんにちは。
勇気を出してメッセージを送ってくださったとのこと、本当にありがとうございます。 私の言葉が誰かの助けになるかは分かりませんが、
いただいたメッセージを通して私なりに感じたことを、正直にお返しできたらと思います。 「こんな考え方もあるんだな」くらいの気持ちで、読んでもらえたら嬉しいです。
私は自分に病気が見つかったとき、 「全部、自分のせいだ」と思いました。最初はなんで自分が?と思いましたが 書き出して向き合ううちにそう理解しました。 自分の思考の癖が、じわじわと体を追い詰めていたんじゃないか。 そう思えてならなかったんです。確信を持つような感覚もありました。
頑張ることが当たり前で、その“頑張り”はいつも誰かのため。 自分を犠牲にして何かをすることが、習慣のようになっていました。 気持ちはどこか置き去りのまま、呼吸も浅くなり、 体に違和感やしんどさがあっても、見て見ぬふりをして、進む毎日。 でも私は今、病気に「ありがとう」と言いたいと思っています。
治療中の時間は、かけがえのない学びの連続でした。 そうでもしなければ気づけなかったことが、本当にたくさんあったからです。 その気づきがなければ私は今のように生きていないと思います。
いただいたご質問。 「なぜ、生きることに向き合えるのですか?」 「なぜ、“死にたい”ではなく、“生きたい”と思えるのでしょうか?」 私にとって「死にたい」=「生きたい」だと思っています。 苦しい状況や心の葛藤の中で、まっすぐに「生きたい」と言えなくなって、 気づけば「死にたい」という言葉にすり替わってしまうこともある。 でもその奥には、きっと「本当は生きたい」という想いがある気がしてならないんです。
病気が見つかったとき、私が最初に感じたのは 「生きたい」でも「死にたい」でもなく 「やり残してしまったことが、たくさんある」という後悔でした。 「いつかやろう」と思っていたことを、やらずに終わってしまうのが悔しかった。 それに気づいたとき、まずは“治療に専念しよう”と決めました。
私が学んだのは、 人生の大切な気づきや学びは、ときに“悪い顔”をして現れるということ。 健康であれば、いろんな夢を描ける。 でも、病気のときに持てる夢はたった一つ、「健康になりたい」なんです。 だから私は、今の自分を受け入れたうえで、 もう一度やりたかったことを叶えていける人生にしようと思いました。
それは決して壮大なことではなくて ダンスを習ってみるとか、海を見に行くとか、美味しいご飯を食べに行くとか、 気になっていた演劇を観に行くとか。そんな、ささやかな願いです。 やりたいと思ったときに、その心の火が灯っているうちに、やってみる。 最近は、そんな風に生きています。 ちなみに今日は、お昼から陶芸教室に行ってみようと思っています。 そんな日常です。
「正反対だ」とありましたが、 私は、同じだと思っています。 「死にたい」と思う気持ちは、 本当は「生きたい」と願っている人にしか、湧いてこないんじゃないかなと。 それが、今の私なりの答えです。
メッセージをいただけて、とても嬉しかったです。 何も謝る必要はありません。 このやりとりが、私自身の思考を振り返るきっかけにもなりました。 本当に、ありがとうございます。 誠実に、正直に綴りました。 あなたの心に、何かひとつでも残るものがあれば嬉しいです。
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私が送ったこのメッセージは、私がその時綴った事実です。正直どう解釈されるのかわかりませんが、誠心誠意偽りなく綴ったものです。
最後に何か一言添えられるなら、「私の側で生きてほしい」私のエゴかもしれませんが、そう伝えたいです。