大切な人

「大切にしてくれる人を大切にしたらいいよ」

これは夫の口癖で、私もその言葉を胸に生きてきました。でも最近になって気づいたんです。



私はこの言葉を少し違う解釈で生きてきてしまったかもしれない、と。

自分をすり減らしてきた過去

私はこれまで、誰かのために動きすぎてしまうことが多々ありました。

・無料で仕事を引き受ける
・本当はやりたくないのに「いいよ」と言ってしまう

・自分の気持ちを飲み込んで相手を優先する


そうやって「大切にしてくれる人を大切にする」を実行しているつもりだったのです。

でも本音は違いました。「私こんなにやっているのに、どうして返ってこないんだろう」その不満が胸に残り、ふと我に返ったとき、見返りを求めてしまう自分が嫌になってしまっていたことに気づきました。

相手を思って動いたはずが、いつのまにか「見返りを期待する自分」になっていて、その自分を責める。矛盾と自己嫌悪が同時に襲ってきて、結果として人を嫌いになってしまうこともありました。私はこんなに大切にしているのに・・・と、気づけばそんな不満が積み重なって、相手のために動いたはずなのに、結局は自分の心をすり減らしていました。この人たちって、私のこと大切にしてくれている人なんだっけ???まず自分を大切にできてるんだっけ?嫌いになる必要のない人まで嫌いになってしまった結果、私って誰も大切にできてないのでは?と。

本当に“大切にしてくれる人”とは?

この経験を繰り返すうちに、私は改めて問い直さざるを得ませんでした。「じゃあ、本当に“大切にしてくれる人”って誰なんだろう?」そこで出した結論は、とてもシンプルでした。「私の側にいたいと思ってくれる人」じゃあ「側にいたいと思ってくれる人」ってどんな人だろうか?


憧れの人に会いたいと思ったとき、アーティストであればライブに足を運ぶ。作家であれば個展を訪れる・本を読む。クリエイターであれば作品を依頼したり、コンテンツを受け取ったりする。共通しているのは、その人の表現や活動に、自分の時間やエネルギーをかけて関わろうとしていることです。ここで大事なのは「お金が大切」という話ではありません。


「自分の時間やエネルギー(お金)を使ってでも、関わりたいと思ってくれるかどうか」その行動こそが、相手の想いを示しているのだと気づいたのです。人は言葉でいくらでも言えます。「あなたが必要です」「力を借りたいです」「ずっと側にいます」でもその言葉を超えられるのは、実際に行動してくれる人だけ。 そしてその行動を無条件に重ねていけるのが、友達、夫婦、家族といった特別な関係なんだと思います。


だから私は今、夫の口癖をこう解釈しています「大切にしてくれる人を大切にする」= 言葉ではなく行動で、側にいてくれる人を大切にする。だからこそ、このブログを読めているあなたは、一つ行動を超えた人。私にとって大切な人なんです。


実はブログのみを読める500円ほどの閲覧プランを追加しようと最近考えていました。でもそれって「本当に、私の側にいてくれる人を大切にできる選択なのかな?」自分をすり減らしていないか?自分の価値を自分で下げていないか?と、自分に問いかけたときに、少し違う気がして・・・考え直した先に、このテーマが生まれました。

そして今、私はこの文章をここまで読んでくれたあなたに、心からありがとうと言いたいです。これからも、あなたと一緒に大切にしたいものを見つめ続けていけたらと思います。

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